巻頭言

10月の巻頭言

7世代先までも

保久 要

異常なまでの酷暑に、命の危険すら感じる地球温暖化を体験した今夏ですが、くしくも8月の横浜教区平和旬間行事では、「迫りくる気候危機~使徒的勧告『ラウダーテ・デウム』」というテーマで、イエズス会の瀬本正之神父様に講演をしていただきました。教皇様はこの勧告の中で、もはや「危機」である気候変動に「待ったなし」で取り組まなければならないと強く訴え、7つの行動指針を挙げています。さらにこれに先立つ回勅『ラウダート・シ』(2015年)では、そもそもの根源的な問いを投げかけておられます。<わたしたちは、後続する世代の人々に、今成長しつつある子どもたちに、どのような世界を残そうとするのでしょうか>(160項)。

ところでこの後続する世代といったとき、何世代くらい先をイメージするでしょうか。オンタリオ湖南岸に住んでいたイロコイ・インディアンという部族同盟は、なんと7世代先の人々になりきって、その視点で、重要な意思決定をするそうです。結束法第28条には、指導者は<すべての人々、つまり、現世代ばかりでなくまだ生まれていない将来世代を念頭に置き、彼らのしあわせに目を向け、耳を傾けるのです>(西條辰義『フューチャー・デザイン』日本経済新聞出版p.107)とあります。

この発想に興味を持ったある研究者は、「いま」から将来を考える現世代グループと、将来に飛び、そこから「いま」を考え直す仮想将来世代グループに学生を分け、エネルギー問題を討議させる研究をおこなったそうです。興味深いのは、現世代グループがあまり気候変動に注目しなかったのに対し、将来世代はエネルギー問題と気候変動の問題を組み合わせて考えたそうです(前掲書p.163)。エネルギー問題を考えるとき、ともすれば目先の利便性を優先しがちですが、将来の地球に生きている人間となって考えたとき、気候変動は自分事の大きな問題となるのでしょう。

<もともと人間は、相手の立場に立って考えられる動物だと思います。親が、自分の食べ物を減らしてでも子どもに与えるように。声なき将来世代に対しても、できるはずです>(西條辰義「将来人になりきってみる」朝日新聞8月31日)。 将来の子どもたちのために美しく住みやすい地球を残したいと、誰もが願うでしょう。そのために一人ひとりがちょっとずつ犠牲を払い、節制していくことが求められます。でもわたしたちが50年後、100年後も生きていると仮想し、自分事として現在を見直してみると、もう少しワクワクしながら行動できるのかもしれません。

*「巻頭言」は、カトリック雪ノ下教会、教会報「ひびき」掲載記事から転載しています。(広報部)