巻頭言

12月の巻頭言

クリスマスに向けて

保久 要

今年10月に行われた横浜教区司祭の黙想会では、2018年3月に公布されたローマ教皇庁教理省の書簡『プラクイト・デオ(神はよしとされた)』を、福岡教区の櫻井尚明神父様とサレジオ会の阿部仲麻呂神父様に解説していただきました。この書簡は、古代の二つの異端であるグノーシス主義とペラギウス主義が、新しい形で現代社会に広まってきているとして注意を促すものです。「なんのこっちゃ?」ですよね!これをわかり易く二人の神父様から教えていただいたわけです。

阿部神父様はグノーシス主義を「閉鎖主義」、ペラギウス主義を「自立主義」と言い換えておられました。グノーシス主義者は、肉体や物質から解放されることを救いと考え、閉鎖的なグループを作ります。知識や理性を偏重し、神秘的なものを排除します。ここから派生したのがペラギウス主義で、グノーシス主義が中心に置いた「知」を、人間の意志や個人の努力に置き換えたものです。つまり自分自身を自力で救えると考えたわけです。

櫻井神父様は教会現場で見られるこれらの傾向を指摘されました。キリスト教を知的で抽象的なものととらえ、具体的な日常生活からかけ離れたものにしてしまう傾向(グノーシス)や、教会の法規や決まりごとを守ることに固執し、弱さや罪深さを努力によって克服すべきだと考える傾向(ペラギウス)です。これらは<どちらの場合も、イエス・キリストに対しても他者に対しても、真の関心を払ってはいません>(教皇フランシスコ使徒的勧告『喜びに喜べ』35)。<行きつくところは<キリストなしの神、教会なしのキリスト、民なしの教会>(同37)です。

ではこれらの流れにどのように対応したらよいでしょうか?それはその逆を目指せばよいということになります。つまり「開放的で共同体的な姿勢」(反グノーシス)、「他力的で神の支えに身をまかせる信頼に満ちた姿勢」(反ペラギウス)です。

ここまできて、「待てよ、どこかで聞いたような…」と思いませんか?これはまさにクリスマスのメッセージではないでしょうか?

この世に来られたイエス様は、抽象的な神ではなく、生身の肉体を持ったお方です。お生まれになった馬小屋は外に開かれていて、飼い葉おけのまわりには、マリア、ヨセフ、羊飼い、博士など、人々が集いました。幼な子は他人の助けがなければ生きていけません。すべてを他者にゆだねています。受肉、開放、共同体、他力、全きゆだねです。

馬小屋の前でこれらのことを思いめぐらすだけで、クリスマスに向けてのよい準備になると思います。もしかしたら教皇様や教理省の難しい文書を読んだことにもなる?かもしれませんね!

*「巻頭言」は、カトリック雪ノ下教会、教会報「ひびき」掲載記事から転載しています。(広報部)