巻頭言

1月の巻頭言

聖なる年に向けて

ダファーダー・ドミニク

皆さま、新年あけましておめでとうございます。新しい年を迎え、新しい出発の機会をいただいて、神様に感謝します。

2025年は聖年です。聖年は喜びの年です。旧約聖書ではジュビリーについては、レビ記25章に詳しく記されています。「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする……レビ記25.8」。イスラエル社会は、特別な掟に従って、土地、奴隷、経済の平等を回復するためにヨベルの年、ジュビリーを定めました。新約聖書にはジュビリーについてこう述べています。「主の霊がわたしの上におられる。...主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4.18-19).聖なる年は神の恵みの年と呼ばれます。カトリック教会において聖年は霊的な恵みと信仰の成長のための特別な時期です。一番最初に聖年が祝われたのは、1300年、教皇ボニファティウス8世の時でした。今では25年ごとに聖年を祝っています。この聖なる年が目指すのは霊的なことで、神の赦しと慈しみをいただいて神に立ち戻ることでした。

ご存知のように、教皇フランシスコはこの聖年2025のために特別な文章『Spes non confundit(希望は欺かない)』を書きました。聖年のテーマは希望の巡礼者です。教皇フランシスコの著書には、『希望』が良く用いられ、なんと96回も登場します。聖年の間、様々な行事が計画されていますが、大切なことはしっかりと信仰生活を送り、神の恵みと憐れみを受けて神に立ち返り、神との関係を深めることです。神は欺くことのない神ですから、この希望のうちに聖年を行うことは必要だと思います。

この聖なる年には多くのしるしがあります。例えば、ローマへの巡礼、聖なる扉、ローマにある色々な教会への訪問、赦しの秘跡、免償、祈りなどです。これらのしるしを通して、私たちは神に赦され、神の恵みを受けることができるのです。このしるしの中で興味深いのは聖なる扉です。聖年が始まるとき、ローマにある四つの大聖堂 サン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 の扉が開けられ、聖年の終わりにはこれら四つの扉が閉じられます。この四つの扉のほかに聖なる扉はありません。聖なる扉の意味は聖書に書いてあります。「私は門である。私を通して入る者は救われる」(ヨハネ10.9)。イエスは救う門です。ですから、この聖なる扉を通ることは、神の赦しと慈しみを受け、神と和解し、カトリック教会の共同体における交わりを深めるということです。

では、私たちはこの聖年をどのように生きればよいのでしょうか?

この聖年を生きることは、現代の世界にある様々な困難にもかかわらず、希望と確信をもって未来を見つめる助けとなります。私たちは神の子、すなわち、希望の子です。ですから、神は決して私たちのことを忘れません。特にこの聖年の間、わたしたちは毎日神の言葉を聞き、ミサに与り、赦しの秘跡を受けるよう招かれています。教皇フランシスコはまた、私たちが希望の証人として生きるよう招いています。 聖なる年がこの世界に、また、一人ひとりの人生の中に平安と喜びを与えますように。この希望のうちに新しい年を始めましょう。

*「巻頭言」は、カトリック雪ノ下教会、教会報「ひびき」掲載記事から転載しています。(広報部)