四旬節の旅路
ダファーダー・ドミニク
カトリックの典礼で四旬節は悔い改めの季節と呼ばれます。四旬節(レント)という言葉は、ラテン語の「quadragesima dies」に由来し、40日を意味します。主イエスの復活祭前の40日間、カトリック教会のすべての信者は、祈り、断食、施しを通して霊的回心の旅路をたどり、神に立ち返るように招かれています。この四旬節の間、心から悔い改めて、神との関係を深めることが重要です。
では、なぜ聖書では「40」という数字が重要な意味を持っているのでしょうか。
旧約聖書には、40という数字にまつわるエピソードがいくつかあります。たとえば、四十日四十夜地上に雨を降らせたこと(創世記7:4)、ノアを襲った洪水は四十日間大地を覆ったこと(創世記7:17)、イスラエルの民が荒野で四十年間を過ごしたこと(民数記14:33)、エリヤが四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに到達したこと(列王記上19:8)、ヨナがニネベが悔い改めるように40日間の審判を預言したこと(ヨナ3:4)です。また、新約聖書を見ると、イエスは誕生から40日後に神殿で聖別され(ルカ2:22)、公生活の前に荒野で40日間断食し、神と共に歩み(ルカ4:1-2)、イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって使徒たちに現れた(使徒1:3)。この40日という数字は、救い、イエスを待ち望むこと、罪からのきよめ、神に立ち返ること、神の契約によって救われることを意味しています。
「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1、15)という呼びかけは、イエスが宣言したメッセージです。イエスは宣教の始めに、すべての人に神の愛に満たされ、心を変え、神に赦されるよう求めました。今でも、イエスのこの言葉は私たち一人ひとりに向けられています。こうして、洗礼を受けた私たちは、この日に灰を受け、頭に十字架のしるしをつけて、「あなたはちりであり、ちりに帰っていくのです」あるいは「回心して福音を信じなさい」という言葉を思い起こしながら、神の道を歩み続けるのです。灰の儀式に用意された言葉は、人間存在の危うさ、弱さ、苦しみ、恐れ、人間の不完全さを表しています。しかし、灰の儀式は、イエスが真の道であり、真理であり、命であることを思い出させてくれます。それゆえ、キリストの真の弟子となるためには、自分を捨て、自分自身の十字架を負い、日々キリストに従わなければなりません。 今年は聖なる年です。四旬節と聖年は深く結びついています。希望の巡礼者として、私たちは信仰のうちに歩み、神への信頼を深め、決して失望しないという希望を持つよう招かれています。四旬節と聖年2025の旅路は、私たちに悔い改めの機会を多く与えてくれます。四旬節の40日間、私たちは心を新たにし、復活祭に向けて希望を持つよう招かれています。祈り、断食、施しを通して、私たち一人ひとりが、神の愛に応えて生きることを目指して「希望の巡礼者」となるのです。キリストの御母、希望の母であるマリアが、いつも私たちと共にいてくださいますように。聖母の模範と祈りが、私たちを喜びのうちに復活に向けて導いてくださいますように。
*「巻頭言」は、カトリック雪ノ下教会、教会報「ひびき」掲載記事から転載しています。(広報部)