弱いからこそ
保久 要
信徒会館1階の私の執務室には、ロボット掃除機「ルンバ」があります。もう10年以上前のもので、前任地・横浜司教館の自室で使おうと購入しました。しかしコード類に絡まったり、ベッド下の狭い空間を抜けようとして身動きできなくなったりすることが多く、結局ほとんど使わずじまいでした。いまの執務室はそんなに物がありませんので、今のところ頑張って働いてくれています。
私の場合は、ルンバのスイッチを入れた後はほったらかしにして部屋を出てしまいますが、豊橋技術科学大学教授の岡田美智男さんは違うようです。ルンバと一緒にいて、その進む方向にあるものを片付けたり、コードを束ねたり、テーブルやいすを並べ替えたりするそうです。そして自問します。<いったい誰がこの部屋を片付けたというのか。><そもそも、部屋の隅のコードを巻き込んでギブアップしてしまう、床に置かれたスリッパを引きずり回したり、段差のある玄関から落ちてしまうとそこから這い上がれないというのは、これまでの家電製品であれば、改善すべき欠点そのものだろう>(岡田美智男『<弱いロボット>の思想』講談社現代新書pp.16-17)。
しかし一方でこれらの欠点があるからこそ、岡田さんはロボットと一緒に掃除ができるわけで、それが心地よいのだと言います。たぶん最新機種のルンバはこれらの欠点が改良され、自らで障害物を避け、かなり賢く動けるようになっていると思います。しかしそういう欠点がなくなった完璧なロボットだと今度は、「邪魔するな!」とかかわりを否定されているように感じられ、岡田さんは一緒にいて手助けすることができなくなってしまうと言っています。つまり欠点があるから、弱いからこそいとおしく、ともにいることができる、ということでしょう。
四旬節は、祈り、節制、愛のわざを通して、自らの罪深さ、弱さに目を向けるときです。ルンバがコードに絡まったり、壁や椅子の脚にごつごつ当たるように、私たちは自分の罪と弱さにぶつかり、身動きできなくなってしまうこともあると思います。でも神様はその時に必ず先回りして、わたしたちの進む道を整え、落ち込んでも這い上がることができるよう手を差し伸べくださっていると思います。
<「どうして壁にぶつかると知っていて、ぶつかるのだろう。アホだなあ……」と思いながらも、いつの間にか応援してしまう>(同pp.203-204)。 神様もそう言ってわたしたちを応援してくれているのではないでしょうか?
*「巻頭言」は、カトリック雪ノ下教会、教会報「ひびき」掲載記事から転載しています。(広報部)