備えあれば憂いなし?
枇杷 晃平
8月は日本ではお盆、そして終戦記念日を前に平和を願う月でもあります。また子どもたちにとっては学校が休みとなり、旅行やキャンプを楽しむ行楽シーズンでもあるでしょう。私にとっては、神学校でともに学んだ2人の同級生の司祭叙階式のために、人生で初めてベトナムへ行くという楽しみな予定がある月でもあります。
皆様もさまざまに夏の過ごし方を考えておられると思いますが、いつも神様に心を向けて、神様の声をいつでも聴くことができるように備えているでしょうか。
今月の主日の福音は、十字架に向かうイエス様が群衆や弟子たちにむけて教えておられる場面が多く、その中では神に従う者に求められる心構えが特に説かれています。その中には非常に厳しいと思われるものも多くあります。しかしその中には、どのような状況であっても神様のことを忘れないように備えておきなさい、というイエス様の心遣いがあるように私には思われます。
最近は、鹿児島県のトカラ列島で地震が相次ぎ、また鎌倉では浄明寺での水道管破裂で周辺が1日近く断水になった日もありました。それがいつ来るかはわかりませんが、日本では大規模な自然災害や突然のインフラ遮断のリスクがますます心配されるようになっています。今のところ大きな災害は起こっていませんが、常に備えていなさい、ということの大切さは災害対策においても、信仰においても変わるものではないのかもしれません。
ただ、「愚かな金持ち」のたとえが示すように、自分のために有事の時の金銭的な備え、物質的な備えをしておくだけではなく、いつでも神様の声に聴き従い、神様からいただいたものを分かち合うことができるように、という心の備えをいつもしておくことこそ、わたしたちにとって大切です。多くのものごとや人との出会いに開かれているこの8月という月が、神様との新しい出会いにもつながる月となりますように。
*「巻頭言」は、カトリック雪ノ下教会、教会報「ひびき」掲載記事から転載しています。(広報部)